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2008年4月 5日 (土)

なぜ「ヤクルト」なの?

「HNがなぜ『あぶらず』なの?」と同じくらい、よく聞かれるのがこれだ。というより、HNが「あぶらず」だという疑問はこのブログを見ていない人間にはわかないわけだから、むしろ「なぜ、『ヤクルト』なのか?」という質問をされることのほうが人生の中では圧倒的に多い。特に今時期は、人事異動や取引先の担当者変更などでお初の顔が増え、プロ野球ネタになることも多く、「ヤクルトファンである」ことを突っ込まれる回数も増える。良い機会なので、ヤクルトファンとしての半生を振り返ってみることにした。

1980年 俺8歳(小2)
そもそも野球との出会いは小学2年生の時に、スポーツ少年団に入ったところにさかのぼる。その後も中学・高校と軟式野球を続けるわけだが、プレイヤーとしてはヘナチョコで、大成も活躍もすることはなかった。

1983年 俺11歳(小5)
プロ野球を見るようになったのは、もうちょっと前だったかもしれないが、記憶に鮮明なのはこの年。極めてノーマルに巨人ファンとなり、特に西本聖という投手の大ファンだった(当時彼の下敷きを使っていたなぁ)。この年の西本についてはこちらから抜粋させていただいたので、参照されたい。この年の日本シリーズは未だに忘れられないシリーズのうちのひとつとなっている。

(前略)そして、西本がプロ野球人生においてもっとも輝いたのが、逆転につぐ逆転、サヨナラゲーム3回の熾烈なる名勝負、83年日本シリーズだ。

この年の日本シリーズ、巨人初戦の先発は、当然のごとくエースの江川。しかし、その江川がいただけない。情けないことに、2回6失点とアッサリKOされ、巨人はボロ負け。
大事な初戦をエースで落とし、先行き不安かと思われた巨人。しかし、巨人にはもう一人エースがいた。第2戦に先発した西本は伝家の宝刀・シュートを振りかざし、西武打線を切り裂き続ける。無四球完封勝利!すかさず1勝1敗のタイに戻し、流れを引き戻した。

江川は第4戦にも先発するも、6回3失点で肉離れを起こして途中降板と、またも頼りない投球。もはやこのシリーズ、江川に頼るのは難しい状況となってきた。
対して西本は相変わらず絶好調。翌第5戦に先発した西本は、やはりシュート攻めで西武打線を苦しめる。稀代のホームランバッター・田淵幸一が(野球人生初という)バットを短く持ってツーランを放ち、なんとか一矢を報いるも、西武の反抗はこれまで。西本は完投勝利をあげ、この時点で、シリーズの西本の自責点はわずかに1!防御率は0.50!81年日本シリーズに続いての西本の大活躍で、巨人はついに日本一へ王手をかけた!

そして大詰めの第6戦。もう負けられない西武は意地を見せ、終盤まで1-2とリード。しかし、波に乗っている巨人の勢いは止められない。巨人は9回表の土壇場、中畑がなんとタイムリースリーベースを放って逆転に成功!なんという粘り強さ!あとは裏の西武の攻撃をしのげば巨人の日本一が決定する!巨人のボルテージはまさに最高潮。そしてここで、藤田監督が満を持した起用法に出た。リリーフにコールした投手は、なんと西本!中1日登板!ここまで絶対的な強さを誇ってきた男がマウンドに登場。いよいよクライマックス。まさに最後のツメまでぬかりはない、必勝の体勢と言えよう。

まずは先頭打者を危なげなくきってとる西本。あとアウト二つだ。しかし、あろうことか、ここから歯車が狂い始める。勝利の女神は気まぐれだった。
次打者の山崎がヒットを放つ。続く片平もヒット。どうしたことか、まだ終わらない。代打で登場の鈴木がまたもヒット!あれよあれよという間に満塁だ。次に迎えた打者は石毛。ここで抑えれば良かったが、そうはいかなかった。石毛は無情にも巨人の優勝を阻む4連打目!西武、奇跡の同点劇!西武の意地が、巨人の勢いを上回った。まさかの誤算となった西本、勝負は延長戦だ。

続く10回の裏、巨人のマウンドに上がったのは江川。表の巨人の攻撃で、西本に代打が送られたためのリリーフであった。これは西武にとって好都合。これまで西武は江川を攻略しきれており、しかも、試合の流れも完全に西武。この流れを止めるのは不可能だった。二死一・二塁から江川は金森にタイムリーヒットを浴びて悪夢のサヨナラ負け!
死闘は終わらぬ。日本一決定は第7戦へもつれこんだのだ。

その翌日は雨天順延。そして迎えた一大決戦!ついにこれが最後の最後、巨人先発のマウンドに立ったのは西本聖!日本シリーズという短期決戦の中、西本は既に3度登板し、19回を投げている。しかも前回に続いて中1日登板。疲労がピークに達しているのは疑いようもない。しかし、巨人で頼れる投手は、もはや西本ただ一人。藤田監督は心中覚悟、巨人の命運を全てこの男に託した。
プレイボールがコールされ、力投を続ける西本。西武のスコアボードにはゼロが並ぶ。6回まで2-0と巨人がリード。しかし7回、これまで巨人を守り続けてきた西本がついに力尽きた。無死満塁から、テリーに逆転打を浴びて3失点。そしてそのままゲームセットとなり、死闘は終焉。
日本一の座は、西武のものとなった。

この83年日本シリーズ、巨人は優勝を逃したものの、たった一人で西武打線と死闘を演じた西本。その存在感たるや鬼神の如し、見る者に凄まじく強烈な印象を残していった。


1984年 俺12歳(小6)
チェッカーズ社会現象化。ここでチェッカーズに傾倒したことが、結果的にスワローズとの出会いへと導いていくことになるが、それについては後述。

1986年 俺14歳(中2)
初代ファミスタ発売。タイタンズ(阪神)・ライオネルズ(西武)・カーズ(広島)あたりを好んで使用。このころには既に巨人一辺倒ではなかったことがうかがえる。西本が巨人で活躍できないでいたこともその一因かもしれない。(初代ファミスタには西本は登場していない)

1987年 俺15歳(中3)
もうちょっと前からだったかもしれないが、ニッポン放送ヤングパラダイスにハマる。そもそもは箱番組であった「お願い!チェッカーズ」を聴くためだったのだが、だんだん本体の「ドカンクイズ」「恐怖のヤッちゃん」「新・早口言葉ベロダス」などに魅入られ、そして、なによりメインパーソナリティー三宅裕司の軽妙なトークにハマっていく。三宅裕司は当時からヤクルトファンであり、さらにヤンパラの前の時間帯がショーアップナイターであったことからヤンパラのイントロトークは野球ネタ、特にスワローズネタであることが多かった。勝っても負けても楽しげな彼のトークに、「弱いチームのファンになるお気楽さ」を見出し、このころからスワローズファンを名乗りだしたと思われる。ファンになった時の監督が関根('87-'89)で、助っ人外人に「赤鬼」ホーナーがいたのは間違いないので、時期的にも記憶と合致する。ちなみに、ホーナーの背番号「50」は球団社長が、「これぐらいホームランを打ってくれれば、、、。」という願いから付けられたらしいが、シーズン序盤は「100本打てんじゃねぇか」くらいの衝撃的なハイペースだった…と思う。

1988年 俺16歳(高1)
ファミコン版ベストプレープロ野球発売。アクションを一切排除したシミュレーションゲームで、基本的には監督として采配を振るう。チーム力がかなり現実に近く再現できるため、ヤクルトでペナントを戦う苦労をバーチャルながらも思い知る。また、選手個々の能力設定が緻密に行えるため、この頃からヤクルトというチーム大枠への興味がだんだんと細部に及んでいく。

1989年 俺17歳(高2)
アイケルバーガー入団。メジャー実績もある大物で、抑えとして期待されたが、開幕2戦目のデビュー登板ではいきなりのサヨナラ暴投。8試合、0勝3敗0Sで5/20に解雇される。ホーナーとともに忘れることのできない思い出の助っ人。

そしていよいよ、'90年に就任した野村監督と、'91年大学で出会った岡田峰幸氏が、俺とヤクルトとの関り方を大きく変えていくのだが、そこから先についてはまた次の機会に。。。

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